ものづくり
2026/08/21
宮崎大学・古池研究室インタビュー【前編】「トライボロジー」の基礎と持続可能な未来への展望
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目次
皆さんは「トライボロジー」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか?モノとモノが触れ合う現象を研究対象とする「トライボロジー(摩擦学)」。実は、私たちの暮らしから、次世代のエネルギーインフラにいたるまで、社会や産業のさまざまな領域に欠かせない学問です。
今回は、軸受(じくうけ)をはじめとするトライボロジーの研究に取り組む宮崎大学・古池仁暢先生に、トライボロジーの基礎から未来への展望までお話を伺いました。
| 古池 仁暢 宮崎大学工学部助教。軸受のトライボロジーを専門とし、摩擦・摩耗・潤滑に関する研究に従事。先端材料「PEEK(ピーク)材」を用いた軸受の長寿命化研究に携わる。現在は、日機装との共同研究をはじめ、先端材料を用いた軸受の摩耗制御や「自己修復軸受」の実現に向けた研究を進めている。 (※所属・肩書は取材時点のものです) |
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トライボロジーの基礎知識
――まず、トライボロジーとはどのような学問なのでしょうか?
古池先生:トライボロジーとは、簡潔にいうと「摩擦」「摩耗」、そしてそれを減らすための「潤滑」を科学する学問です。
言葉の由来は、ギリシャ語で「擦る(こする)」を意味する「トリボス(tribos)」と、学問を表す「ロジー(logy)」を組み合わせたものです。トライボロジーという言葉自体は1960年代半ばにイギリスの環境に関する報告書で登場し、日本には1970年代頃に入ってきました。
比較的新しい学問ですが、現象そのものは人類の歴史と深い関わりがあります。古代エジプトでは、ピラミッド建設の際に巨大な石材を運ぶために丸太を敷いたり、摩擦を緩和するための潤滑剤としてオリーブオイルなどの油や水を用いたりした記録が残っています。初めて「摩擦」の存在を人類で科学的に確かめたのは、芸術家としても著名なレオナルド・ダ・ヴィンチです。摩擦力を測定する実験を行い、現代にも通じる基本法則を見出しており、いわばトライボロジーの始祖と言えるレジェンドです。
レオナルド・ダ・ヴィンチが残した摩擦実験図(左)と研磨機※(右)
※摩擦により表面を磨いて鏡のように滑らかにする装置
――「摩擦」「摩耗」「潤滑」の3つについて、それぞれもう少しくわしく聞かせてください。
古池先生:まず「摩擦」とは、モノとモノが擦れ合うときに生じる抵抗のことです。かつて摩擦は、凹凸面がぶつかることで発生すると考えられていましたが、実際には物質同士が電気的に引き合う力が大きく関係しています。
古池先生
わかりやすい例でいうと、下敷きで髪の毛をこすると、下敷き(マイナス)と髪の毛(プラス)が電気的に強く引き合いますよね。これと同じようなプラスとマイナスが引き合ってくっつく現象が、あらゆる物質の触れ合う面で起きており、それを私たちは「摩擦」と呼んでいるのです。
一方「摩耗」は、摩擦によってモノの表面が削られていく現象です。消しゴムを使うとすり減るのも、人間の膝関節の軟骨が少しずつ削れて傷んだりするのも摩耗の一種で、これをいかにおさえるかが産業から医療まで共通の課題となっています。
「潤滑」は、漢字で「潤して滑る」と書くように、接触する面の間に水や油などを介在させることで、滑らかな状態にすることです。摩擦や摩耗を抑えられるため、部品や材料を長持ちさせる効果があります。
「摩擦」「摩耗」「潤滑」の関係(左)と、軸受の潤滑(右)
日常から産業まで関わるトライボロジーの技術
――トライボロジーは、私たちの身のまわりでどのように応用されているのでしょうか。
古池先生:摩擦はありとあらゆる場所で起きており、トライボロジーの知見は日常生活のさまざまな場面に活用されています。
たとえば、衣服に使われている糸です。よく見ると、繊維を「縒(よ)る」、つまりねじり合わせて作られています。そのままでは簡単に切れてしまう糸も、縒ることで摩擦力が高まり、強度が増します。
さらに、フライパンの表面が黒いのもトライボロジーの応用例の一つです。表面にはフッ素樹脂という滑りやすい素材がコーティングされており、食材との摩擦を小さくすることで焦げ付きを防いでいるんです。炊飯器の内釜やたこ焼き器のコーティングも同じ仕組みですね。
米粒がくっつきにくいしゃもじには、「エンボス加工」と呼ばれる微細な凹凸が施されています。“面”ではなく“点”でお米と触れ合わせることで、接触面積を減らし、付着しにくくする形状設計の技術が活用されています。
トライボロジーが応用されている日用品
――産業分野では、どのような場面でトライボロジーの技術が活用されていますか?
古池先生:産業分野においても、トライボロジーはさまざまな機械要素に応用されています。中でも代表的なのが軸受です。自動車では、エンジンやトランスミッション、タイヤ関連などの駆動部で広く使われており、回転運動を滑らかに支えています。
古池先生の研究室で実験に用いられていた軸受
これは家庭用電化製品でも同様です。たとえば洗濯機やエアコンなどのモーター駆動部において、軸が擦れ合う面の摩擦を軸受がおさえることで、異音の発生や焼き付きによる故障を防いでいます。
また、建築・土木分野も代表的な活用例の一つです。明石海峡大橋のような大型橋梁では、橋脚と橋桁の間に「支承(ししょう)」と呼ばれる特殊な軸受構造を設置。地震や強風による揺れや振動を吸収・抑制しています。
活躍の場が多岐にわたる軸受は、その重要性から「産業のコメ」と形容されることも少なくありません。私たちの日々の食生活にお米が欠かせないように、軸受もまた、現代の産業を支える存在なのです。
「省エネ・省資源」の実現へ、トライボロジー研究にかかる期待

――近年SDGsの観点から、トライボロジー研究への期待がより一層高まっています。その背景を教えてください。
古池先生:トライボロジーは省エネや省資源への取り組みと深く結びついています。
省エネという観点での課題は、摩擦による余分な電力の消費が挙げられます。また、省資源という観点では、摩擦や摩耗は機械の損傷・劣化の大きな要因です。機械装置が一度故障すると、修理や部品交換が必要になりますよね。摩擦・摩耗に関わるトラブルによって国内だけで年間数兆円から十数兆円もの経済的損失が生まれているという推計もあります。毎年これだけの額のエネルギーや資源が、いわば無駄になっている訳です。
モーターの軸をスムーズに回転させればバッテリーの消費を抑えられますし、部品の表面を強化して長持ちさせれば資源の無駄遣いも減る。トライボロジーの発展が、そのまま省エネ・省資源に繋がるんです。
摩擦実験後の軸スリーブ(左)と軸受(右)
――クリーンエネルギーの分野でも、トライボロジーが関わってくるのでしょうか?
古池先生:そうですね、とくに注目しているのが水素エネルギーとトライボロジーの関係です。
国際情勢の変化により石油の安定供給が難しくなる中、次世代のクリーンエネルギーとして、水素の活用が世界規模で求められています。
ただ、水素には特有の扱いにくさがあります。地球上でもっとも軽い気体である水素は分子が極めて小さく、金属表面の小さな隙間から内部に入り込んでしまう性質を持っています。金属内部に水素が侵入すると材料がもろくなり、摩耗や破損を引き起こす可能性があります。
水素が存在する環境下で、摩擦・摩耗・潤滑のメカニズムがどのように変化するのかは、まだ十分に解明されていません。こうした特殊な環境でのメカニズムを明らかにしていくことが、水素を安全かつ安定的に活用できる社会の実現につながると考えています。
今後の展望
――トライボロジー研究は、今後どのような方向に発展していくとお考えですか?

古池先生:先ほどご紹介した水素エネルギー環境下でのトライボロジー研究も大きなテーマですが、そのほかトレンドとして、AIと「ハプティクス技術(触覚技術)」を組み合わせた研究があります。
たとえば、スマートフォンやゲーム機などのタッチパネルで指をスライドさせたりフリックしたりする動きでは、熱や押す圧力だけでなく、摩擦の変化を検知する技術が研究されています。現在は、摩擦による振動をAIなどで解析することで、指先の感覚を遠隔地やバーチャル空間で再現する研究が進んでいるのです。
これが実現すれば、遠隔医療において手術の感覚を遠方の医師に伝えることや、アニメで見るような空間で操作する「空中タッチパネル」のような世界も、現実になるかもしれません。一見、SFのように思える世界にも、摩擦を科学するトライボロジーの知見が活かされています。
――最後に、古池先生ご自身の今後の研究についての展望を教えてください。
古池先生:私が最終的に目指しているのは、「自己修復軸受」の実現です。
近年、さまざまな先端材料が研究されている中でも、特に注目しているのが「PEEK(ピーク)」(Poly Ether Ether Ketone)です。PEEKはいわばプレミアムなプラスチックですが、日用品に使われている樹脂よりもはるかに壊れにくい高機能材料で、鉄や鋼が錆びてしまうような特殊環境下でも使われています。この表面に特別な微細加工を施すことで、摩擦・摩耗を低減させるのみならず、自己潤滑の再生まで可能になるのではと考えています。
人間の皮膚は傷ついても自然に治りますよね。同じように、軸受が摩耗や損傷を受けても、外部からの大掛かりなメンテナンスがなくても、もとの状態を回復できるような素材と構造を作ることが目標です。省資源・長寿命化の観点からも、持続可能なものづくりに向けて、今後も研究を続けていきます。

後編では、宮崎大学と日機装による産学連携の取り組みに焦点を当て、「共同研究のいま」をお届けします。
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