日機装の文化

2023/07/26

2023年で創業70周年。日機装の歴史を振り返る【#2 医療・航空分野への挑戦】

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2023年で創業70周年。日機装の歴史を振り返る【#2 医療・航空分野への挑戦】

目次

1953年12月26日に創業した日機装は、2023年に70周年を迎えました。音桂二郎が「特殊ポンプ工業株式会社」の名前で事業を起こして以来、日機装は日本経済とともに大きく成長してきました。連載「日機装の歴史を振り返る」では、そんな日機装の “これまでの歩み”をたどっています。

第2回となる今回は、ポンプ事業を立ち上げた桂二郎が、どのように医療や航空分野へ挑戦したのか、その軌跡をご紹介しましょう。

透析装置を扱うメディカル事業の誕生

米国ミルトン・ロイ社の単身用人工腎臓装置米国ミルトン・ロイ社製 単身用人工腎臓装置 モデルA

特殊ポンプの輸入販売を中心に事業をスタートさせ、火力発電所の水質調整装置や化学工業プラントで用いる無漏えいポンプ(キャンドモータポンプ)の国内生産を手がけるようになった日機装。当時の日本は本格的な経済成長の時代を迎えており、旺盛な設備投資を背景に大きな成長を遂げました。

しかしその後、当時戦後最大といわれる昭和40年不況が日機装の事業にも大きな打撃を与え、1966年にはついに赤字に転落してしまいます。

この背景には、景気の変動に左右されやすい事業構造がありました。事業分野が電力・化学工業に限られていたために、該当分野の設備投資が強化されると多くの注文が舞い込む一方、不況で企業が設備投資を控えれば、受注量は激減してしまうのです。

この昭和40年不況の経験から、桂二郎は不安定な経営を克服する必要性を痛感し、「化学工業一本に依存する企業は危険である。もっと事業の幅を広げなければならない」と考えるようになりました。

そんな折、特殊ポンプの代理販売や技術提携で関係を築いていた米ミルトン・ロイ社が人工腎臓装置の開発に成功。日機装に「人工腎臓(Artificial Kidney)を開発したから日本で販売をしてみないか」との申し入れがありました。

血液を体外に取り出し透析器(ダイアライザー)を通して血液中の老廃物を取り除き、きれいになった血液を再び体内に戻す。この透析治療に用いられる人工腎臓装置にポンプの技術が活かせるのではないか――ミルトン・ロイ社シーン社長の着眼点のよさに、桂二郎は感心しました。そして事業の幅を広げたいと考える今、願ってもない話だと、日本における販売を請け負うことを決めます。

化学工業分野で事業を展開してきた日機装にとって、医療分野に進むことは大きな決断でしたが、実は全く “お門違い” の参入ではありませんでした。日機装はこの医療分野進出の10年ほど前、東京大学医学部の先生のご依頼を受け、日本で第一号となる人工心臓の試作を成功させていたのです。

ここで「工業分野の機械の技術が医療分野にも役立てられるのだ」という実感を得ていたことが、桂二郎がミルトン・ロイ社の人工腎臓に興味を持ち、この仕事に本格的に取り組もうと一歩踏み出す後押しになったのでした。


日本初の「人工心臓」を製作 | 研究・技術開発の軌跡 | 研究・技術情報 | 日機装株式会社

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日本で初めて「透析装置の国産化」に成功

日機装が開発した国産第1号のキール型人工腎臓装置(BN型)日機装が開発した国産第1号の人工腎臓装置(BN型)

1966年、記念すべき第一号となる人工腎臓装置の注文が、広島大学医学部から入りました。

翌年、日機装にとって初めてとなる医療機器の販売・納入が始まるにあたり、ミルトン・ロイ社サーファス副社長が来日。有能な研究者でもあったサーファス博士自ら、精力的にこの試運転にあたり、技術指導に加え、アメリカから持参した透析液をもとに大学病院の薬局に依頼して透析液を用意するなどの力を尽くし、ようやく機器の納入が完了しました。

しかし、すべてを輸入品に頼っていたのでは、治療中の故障など緊急時の迅速な対応は困難と感じた桂二郎は、すぐに装置の“国産化”を決意します。日本での代理販売を始めて間もなくミルトン・ロイ社と技術提携の契約を交わし、人工腎臓装置の開発に着手。その翌年、1969年には日本初となる国産第一号の人工腎臓装置の認可を取得するに至りました。

その折、人工腎臓装置を用いた透析治療が保険適用を受けたことから、この治療を受ける患者さまと扱う医療機関が増え、日機装のメディカル事業は順調に成長していきます。

そして、機器の国産化に加え、もう一つ桂二郎が重視したのは「医療従事者のトレーニング」でした。

実際に患者さまが治療している現場を訪れ、文字通り「人命が装置に連なっている」様子を目の当たりにした桂二郎は、「人工腎臓の意味するものの尊さとそれを扱うものの重大な責任」を痛感します。

患者さまの生命を背負う本格的な治療装置であり、また機械のプロフェッショナルではない “医師” が取り扱うものである。そんな人工腎臓装置の運用においては、何らかの不具合が起きた際にすぐに対応ができるよう「テクニシャン」の常駐が必要だと桂二郎は訴えました。

そして、テクニシャンの方々が機械をうまく取り扱い、故障時に緊急の措置が取れるようなトレーニングの提供を始めることに決めたのです。

人工腎臓第お客様向けトレーニング人工腎臓第1回お客様向けトレーニング

こうして1972年、日機装は日本で初めての医療従事者向け研修を東村山工場で開始しました。研修は1週間か2週間のコースで、機械の取り扱いや故障の時の対応など、透析治療の現場で必要不可欠な知識を医療従事者たちにレクチャーしてきました。

受講者は数千人を超え、日本のみならず、中国、東南アジア、中近東など世界各地から研修の依頼を引き受けています。2021年7月には研修の新たな拠点として研究研修施設「M.ReT宮崎」をオープン。現在もさらに充実した研修の提供に向けて力を注いでいます。

航空宇宙事業のはじまりは炭素繊維から

グラファイトウィスカー微細な炭素繊維、グラファイトウィスカー

透析患者の増加を背景に順調な伸びを見せたメディカル事業でしたが、1970年代後半にはさまざまな企業が参入してきたことなどから、会社全体の事業基盤をさらに強固にしようと日機装は新分野への進出を模索します。

ちょうどこの頃、合成繊維や合成樹脂などを主に扱う大手繊維メーカー出身の波多野 正彦氏が入社したことが、日機装にとって大きな一つの転機となりました。波多野氏は新素材部長などを歴任し、のちに社長も務めた人物です。

東京帝国大学・海軍時代における桂二郎の同期で友人である波多野氏は、炭素繊維の開発製造に力を注いできた経歴があります。前の仕事を退職していた彼に対する桂二郎の「経験を活かして、日機装でもう一度花を咲かせてはどうか」という言葉が発端となり、日機装は彼を中心として炭素繊維を取り扱い始めます。こうしてメディカル事業が拠点としていた静岡製作所の一部を使い、後に航空宇宙事業となる新事業がスタートしました。

新事業において、どのようなものを手がけていくべきか。桂二郎と波多野氏が話し合う中、桂二郎の「高品質・高付加価値の仕事こそが日機装の仕事である。そのためにはある程度価格が高くなってしまうこともやむを得ない」という言葉を受け、波多野氏が提案したのは炭素繊維に樹脂を合わせた「炭素繊維複合材」を作ることでした。

これまで素材産業で競争の厳しさを経験してきた波多野氏には、素材としての炭素繊維だけを追求していては、最終的には価格競争に陥ってしまうと分かっていたのです。ここから、軽くて強い炭素繊維複合材の開発に乗り出すことになりました。

二人は、すでに炭素繊維複合材の活用が主流となっているレジャー業界には参入せず、これから大きく伸びていくであろう航空・宇宙産業の領域に挑戦することを決断。さらに、市場が広いアメリカに焦点を合わせて事業展開する方針を立て、現地でのニーズ調査から研究開発をスタートさせました。

ゼロからの新たな挑戦に、この航空宇宙事業は赤字でのスタートとなりましたが、桂二郎はこれを将来の成長に向けた「健全な赤字」と捉え、何とか早く成果をあげようと取り組み続けます。そんな新事業において初めて受注した炭素繊維複合材製品は、航空機部品「カスケード」でした。

カスケードカスケード

アメリカの航空機エンジンナセルメーカーであるRohr社(当時)から「これまでアルミ合金で作っていたカスケードを、炭素繊維複合材製に変えたい」という依頼があり開発がスタート。製品設計や製造工程の構築、Rohr社でのさまざまな評価試験を経て、1983年に世界初となる炭素繊維複合材製カスケードの開発に成功し、航空機業界参入の地歩を築いたのでした。

その後徐々に航空機への炭素繊維複合材の採用が進み、日機装はシェアを拡大していくことになりました。

また、日機装が見据えていたのは、航空宇宙市場における炭素繊維複合材部品の開発・製造だけではありません。「研究を進めて既存の素材を凌駕するようなものが開発できれば、製造技術やノウハウの販売でビジネスを成立させることも可能なはずだ」と、技術供与をもう一つの軸として据えていたのです。

そして製品開発と並行して技術開発の試みを続けた結果、1986年、炭素繊維にまつわる技術を米ボーイング社へ供与することに成功しました。


日機装の歴史を振り返る

日機装のカスケードを搭載したボーイングの機体日機装のカスケードを搭載したボーイングの機体

水処理装置の製作・販売とそれに伴う海外製の特殊ポンプの取り扱いからスタートした日機装は、

  • 特殊ポンプ・システムなどを手がける「インダストリアル事業」
  • 炭素繊維複合材製航空機部品を手掛ける「航空宇宙事業」
  • 血液透析関連製品などを手がける「メディカル事業」

を確立し、各分野における “独創的な技術” と “品質の高さ” で実績を重ねてきました。

日機装のここまでの歩みの背景には、【世界を視野に入れた “誰も踏み入れなかったけれど大きなニーズがある” 領域への挑戦】と、そんな新たな挑戦における【「お客様の求めに何とか応えよう」という地道な尽力】が創業以来変わらずあり続けています。

これからもお客様からのご期待と社会からの要請に応え続けていくために、技術とサービスの力を地道に磨き、“日機装にしかできない” ものづくりの力を高めてまいります。


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