日機装の文化
2024/03/25
【就活生にオススメ#5】成長と社会貢献を続ける日機装を知る記事5選
目次
日機装のことを知りたい就活生向けに、オウンドメディア「Bright」の記事をまとめる【就活生にオススメ】シリーズ。最終回となる第5回は、日機装の成長の歴史や社会貢献活動などをご紹介した記事5本を取り上げます。
インダストリアル、航空宇宙、メディカルの3事業で、それぞれ独自の立ち位置を築いてきた日機装ですが、大きなシェアを獲得するに至った背景には、誰も開拓してこなかった市場へ挑戦してきた歴史があります。また、製品を製造するだけでなく、働きやすい環境づくりと地域社会への貢献も、近年力を入れています。
独創性と高品質、 挑戦続けて70年 #日機装の歴史
1953年12月26日に創業した日機装は、2023年に70周年を迎えました。創業者・音桂二郎が「特殊ポンプ工業株式会社」の名前で事業を起こして以来、日機装は日本経済とともに大きく成長してきました。この軌跡を連載記事2本で振り返ります。
「日機装は、オーケストラのように…」創業者が社名に込めた思い
連載の第1回は、音桂二郎が事業を立ち上げるまでの歩み、人となり、経営への想いなどについて紹介しています。
1919年に東京で生まれた桂二郎は、第二次世界大戦中に海軍の技術士官としてドイツの潜水艦を見学。その技術力の高さを思い知ると、「まず外国の技術を取り入れるのだ」という思いを抱きます。
海軍を退官後、水処理ビジネスなどの仕事を経て、日機装の前身「特殊ポンプ工業」を創業。その事業内容は当初、米ミルトン・ロイ社の特殊ポンプの輸入販売でしたが、桂二郎はこれに満足をせず、技術提携による国産化に踏み切りました。これが日機装のビジネスの源流です。
取り扱い製品を水質調整装置や自動燃焼装置などに拡大すると、社名を「日本機械計装」へと変更します(略称「日機装」が後に正式名称となる)。この「計装」という言葉は、英語の「Instrumentation」を翻訳したもの。「管弦楽法」とも訳される言葉ですが、桂二郎は言葉に込めた想いを次のように説明しています。
「オーケストラの演奏には…」。詳しくは記事をご覧ください。
“誰も踏み入れなかったけれど、大きなニーズがある” 領域への挑戦
特殊ポンプの輸入販売から事業が始まった日機装。では、メディカル、航空宇宙事業は、どのように誕生したのでしょうか。連載の第2回では、事業多角化の経緯についてまとめています。詳細は記事で説明していますので、ここでは簡単に紹介します。
メディカル事業では、部品一つから自社開発した人工腎臓装置を日本で初めて開発し、1969年に厚生省(当時)の認可を取得します。人工腎臓装置を用いた透析治療が保険適用を受けたことから、この治療を受ける患者さまと扱う医療機関が増え、日機装のメディカル事業は順調に成長していきました。
航空宇宙事業では、1970年代後半に大手繊維メーカー出身者が入社したことをきっかけに、炭素繊維の取り扱いが始まります。「高品質・高付加価値の仕事こそが日機装の仕事」との考えから、日機装は炭素繊維に樹脂を合わせた「炭素繊維複合材」の開発に乗り出しました。
この時に参入したのが、大きな成長が見込まれていた航空・宇宙産業。そして、ゼロからの挑戦の末、初めて受注したのが航空機エンジンナセル部品の「カスケード」でした。
こうした事業多角化の背景には、【世界を視野に入れた “誰も踏み入れなかったけれど大きなニーズがある” 領域への挑戦】と、そんな新たな挑戦における【「お客様の求めに何とか応えよう」という地道な尽力】があります。これらのポリシーは、これからも日機装の成長の原動力となっていくでしょう。
「作るだけ」では、終わらない #日機装の医療従事者研修
透析装置の国内シェア50%以上を誇る日機装では、装置の販売当初から「透析治療に携わる医療従事者向けの研修」を実施し、知識の提供とサポートに取り組んできました。患者さまにより安心安全な治療をお届けするためには、透析装置を製造するだけでなく、装置を扱う医療従事者の育成も大切です。
知識や判断力を身に付けて、安心安全な治療を
研修の拠点となっているのが、2021年7月に宮崎市でオープンした「M.ReT宮崎」です。施設内には、実習を行うための充実した設備が備わっています。
受講する皆さまにお伝えしているのは、装置の原理や仕組み、装置が安全に使用できるかどうかの判断基準など。さらには、エラーが起きた際に治療の継続が可能かを判断する基準、そして故障時の修復方法まで、幅広い内容です。
こうした知識や判断力を身に付けていただくことで、医療従事者の皆さまが患者さまに不安を与えず、安心安全な治療を提供できるようになると考えています。
出産・育児を経験したリーダーのエール #日機装の働き方
日機装には、出産や育児などのライフイベントを経験しながらも、第一線で働く社員が多くいます。メディカル事業部の薬事部で活躍する奥村 典子さんもその1人。2人の子どもの母として子育てに奔走しながら、安全管理グループでグループリーダーを務めています。
「人生も、キャリアも、安心して追求して」
2006年に新卒入社した奥村さんは現在、メディカル事業部 薬事部安全管理グループで、品質保証に関する行政対応とグループリーダーとしてのマネジメント業務を主に担っています。
入社後に2度の出産を経験しましたが、いずれも出産休暇と育児休暇を取得しました。特に親族がいる地元を離れて、東京で勤務していた2人目の出産時には、復帰にあたって時短制度も活用。お子さんが小学校3年生になるまで、フレックス制度も利用しました。定時退社では夕方のお迎えに間に合わないため、「制度にはとても助けられた」と奥村さんは振り返ります。
出産休暇や時短勤務などの制度があっても、使いにくい職場の雰囲気であっては意味がありません。その点、奥村さんは周りの先輩が時短制度を活用している姿も見てきたので、制度を積極的に使える雰囲気を感じていました。制度だけでなく、「こういったとき、どうしてる?」と相談して支え合う文化もあると話します。
ライフステージの変化によって、どうしても仕事をペースダウンせざるを得ない状況になることもあります。それでも奥村さんは「焦らず、できることをしっかり積み重ねて」とエールを送ります。
「日機装はその時々に応じたサポートが得られる環境にあります。人生も、キャリアも、安心して追求してもらえたら」
伝統工芸の支援にも力 #日機装の地域貢献活動
多様なものづくりを手掛ける日機装は、メーカーとして地域社会との共存・共栄は不可欠と考えています。その取り組みの一つが、石川県の伝統工芸「加賀象嵌(かがぞうがん)」の保存・普及・啓蒙などを行う宗桂会の支援活動です。
石川・金沢が誇る「加賀象嵌」の技法を後世へ
加賀象嵌とは、金属に模様を彫り込み、そこに別の金属を叩いてはめ込むことで装飾をほどこす技法です。江戸時代、加賀藩主である前田家が工芸を支援する中で発展したものと言われています。
日機装の創業者である音桂二郎は、加賀象嵌の名門・山川孝次家の系譜にあります。そんな彼は、加賀象嵌を手がける職人が片手で数えられるほどになってしまった現状を見て「脈々と受け継がれてきた、自分のルーツとも言える伝統工芸がなくなってしまう」と危機感を覚えたのだそうです。
そこで加賀象嵌の発展に少しでも尽くそうと、1993年に金沢製作所を建設するにあたり、日機装の製品展示だけでなく、加賀象嵌の作品や彫金道具、図案などを展示する記念会館として「宗桂会館」を敷地内に建設。同時に公益財団法人「宗桂会」を立ち上げ、支援活動を始めました。
「高度な技術で多様な製品をつくる」という加賀象嵌の"ものづくり"の精神は、日機装の基本姿勢と相通じるものがあります。石川・金沢の先人たちが磨いてきた技術に敬意を払い、受け継いでいくことで、地域に愛される企業になりたいと考えています。
まとめ
日機装が事業を多角化していった背景には、これまで他社が踏み込まなかったが、大きな需要がある市場に積極的に進出していった挑戦の歴史があります。こうしたチャレンジ精神がゆえに、日機装は各事業において、高シェア率の製品を獲得してきました。また、”ものづくり”だけでなく、働き方の改善や地域貢献活動にも力を入れています。これからも「選ばれる会社」になるため、日機装は変化を続けているのです。
分野ごとに全5回でBrightの記事を紹介してきた【就活生にオススメ】シリーズ。少しでも日機装のことに興味を持っていただけたでしょうか。記事をきっかけに、新たな未来を築く日機装のメンバーとして”ものづくり”に加わってくだされば嬉しいです。皆さまにお会いできることを楽しみにしています。
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